ここじゃなくてどこかにいたんだよね

大丈夫じゃなくても笑えるようになりたいって思っていたら、負の感情に鈍くなった。

さっき自殺した妹の話の記事を読んだら心がざわざわしていま悲しいんだなって思ったけど涙が全く出なかった。その記事がつまらないとか美談だとかそういうのじゃない。読んでいて本当にすごくすごく悲しかったんだと思う。たぶんなのは鈍くなったから。

うまく言えないけど、悲しいと感じたときのことを覚えてるからこのざわざわした感じは悲しいって認識できる。悲しくて泣くっていうより泣くから悲しいみたいな。

そういうのがいつからか分からないけどあって、泣くのも大きなきっかけがないとできなくなった。一人で泣くのが難しくなった。前は悲しいからこの曲を聴こうってなってたけど、逆でこの曲を聴きたくなるってことは悲しいんだって気づく。

医者が言うには不安や悲しいを押さえ込んで見ないようにしてるかららしい。悲しいとすぐに泣くけど、学校でそれをやると気まずくなるし心配されるから我慢しようと思ったから、押え込むくせがついたんだと思う。

ある程度は必要だと思うけど、すごく悲しいときまで我慢しなくてもよかった。他人に自分の悲しい気持ちを分かってほしい時は泣いたら伝わるけどわたしにはそれができない。心が変な感じになってる、としか説明できない。

あと自分だけにしか分からない悲しい気持ちの時に自分で自分のことを悲しかったねつらかったねって抱きしめてあげることもなかなかできない。そうやってどんどん心の中で小さなわたしが孤独になって体育座りして泣いて誰かを待ってるのが続く。

でもちゃんときっかけを与えれば、心の中の自分が泣いてることに気付いて抱きしめることができる。そのきっかけは、人だったり音楽だったり憧れの人が書く文章だったり。真っ白だった頭の中がぐちゃぐちゃしてちゃんと整理されて処理できる。そうやって今の状況から抜け出していきたい、来年の目標にしよ。