嫌な夢を見たよ、抱きしめて

医療ドラマを見たり病院に行ったりするたびに思うのは健康であるのはすばらしいということだ。健康であれば希望が自然とくっつくからだ。わたしの身体は生活をするには充分だが希望は他の人より小さいと思う。重いものを持ったり家事をしたりするだけで体が痛くなって疲れてしまう。だから何をするにも億劫だ。あとは子どものこと。わたしの病気が遺伝して男の子だったら車椅子の生活や運動が困難な体になる可能性が高いらしい。100%健康な子が産まれてることは限らないのはどんな人でも同じだ。でもそのことを中学生から医者に教えられていたわたしには、子どもがほしいと素直に思うことはできない。そんなリスクを背負って望むことはできない。希望より先に諦めがやってくる。その諦めは些細なことかもしれない。みんな何かを諦めて生活してるのかもしれない。そう感じさせない強さがあって何になるんだろう。諦めて選択肢をつくった先に別の幸せはある。つくることはできる。きっとそれが個性になるんだろう。それでもわたしがほしかったものとは違う。わたしがセーラーマーキュリーになれてもセーラームーンを羨ましいと思ってしまう。緑になれてもピンクになれないのが悲しくなる。どうしたって手に入らないもの。数える夜がやってきて心細い。誰に話してもどうにもならないこと。