いらなかったものを返して

お腹が痛い。食あたりだと思ったら家族でそうなったのは自分だけだったから、一昨日吐いたのもストレスからなのかもしれない。久しぶりに絶望している。大丈夫、と言ってくれる人がずっとほしかったのに、簡単に手離した。答えが何かわかってないのに探してるからずっとそのままなんだよ。年下の彼にそう言われたときピンとこなくて苦笑いをして誤魔化した。今なら、そのときのわたしにとって的確な言葉に思える。相変わらず答えはわからないけれど。ほしいものだって、あの人から遠ざかってみるとがらくたに見える。こんな状況になって一人の時間が増えてわかったことが正しいことなのかもしれない。人といて紛らわしていたらことが浮き彫りになって逃げていた分が攻撃してくる。自業自得。わたしが積み重ねていたものは全部脆かった。あの人のことも仕事のことも頑張ったつもりだった。うまくいなくてもいいように壊したのは自分なのに。大事にしようといてものは初めから壊れていたんだ。がらくたに囲まれてうずくまることしかできない。フローリングの床が冷たくて痛い。涙が止まらない。

どこか遠くに、と悲しい声がする

キスマークをつけられて、予約していた美容院にいけなくなってしまった。彼はわたしの日常を簡単に奪ってしまうような人だった。
1年前の自分に教えてあげたら、喜ぶことなんだろうか。ご飯に誘われたら飛んでいってだらだらと続く暇つぶしのLINEも楽しくて、一喜一憂しながら犬みたいに尻尾を振りながらぐるぐる回っていた。付き合ってみようよ、と言ったこともある。それでもあの人は何も変わらなくて、干渉しなきゃいいよ、という態度で、2人でいるときも他愛もない話をするだけだった。
その日は2人で飲みにいってた。前の日はみんなで深夜まで飲んで寝不足だった。2日連続で会うなんて恋人みたいだな、と浮かれていたけど、2人なんて慣れていていつもと同じで油断していた。始まりはよく覚えてない。暗くした部屋の、小さなオレンジの光とするりと出てくるあの人の甘い言葉はちぐはぐじゃなかった。一足早く春めいた、桜の模様の缶ビールと度数の強いレモンサワー。お互い寝る前の記憶はないのに抱き合うようにして眠っていて、起きたらあの人の腕の中にいたのを思い出すといつだって心が締めつけられる。わたしの日常を、コーヒーの中に落としたミルクが回っていくように簡単に掻き回した。キスする前に、好きだったのに、と吐き出したわたしの言葉もそれと同じだったらいいのに。その日、初めてあの人に好きと言った。

君が優しいままだったから

彼女は何も言わない。一緒にいると他愛もない話をしてずっと笑っている。別れ際すら、じゃあね!と笑顔で手を振っていた。改札で人混みに消えていく彼女はどんな顔をしていたんだろう。僕はそれを知りたくて会っているのに、待って、と勇気を出して止めることはできない。トイレから出たとき、一人で待っていたからか気が緩んで泣き出しそうな顔をしていた彼女に、どうしたの?と聞けばよかったのかもしれない。彼女が僕を呼ぶときちょっと疲れてるのは知っていた。ごはんはいらないとチョコレートパフェを食べたり、お酒を飲むのが早かったり、携帯の電源を切っていたり。
学科が同じだった。初めは全然話さなくて友達の友達くらい。仲良くなったのは彼女に好きな人ができたときだ。大学3年生だった。バイト先で男友達ができたことを話してきたけど好きというのが伝わってきた。彼氏には言えない話もあった。結局彼氏と別れて男友達にも振られてしまった。それから彼女は、聞いて!と隣に座りにくるようになった。二人でごはんを食べたりお酒を飲んだりしながら、彼女はバイトの愚痴を吐いたり恋愛の話をしたりして、お互い言いたいことを言い合った。ころころ表情が変わる彼女といるのは楽しかった。彼女は自分に自信があるのかないのか、かわいいでしょ、と強気になるときもあれば、かわいいって言ってよ、とめんどくさいことを言い出すときもあった。仲のいい女友達だった。
いつからか、彼女は愚痴を吐かなくなった。二人でどこかにいくこともなくなった。悩み事がなくなっただけかもしれないけど、距離感はあった。ずっと友達でいようね!と酔った赤い顔で笑っていたのが嘘みたいに感じた。そのときの僕は女の子なら誰でもよくて彼女もかわいい人の一人だったし、そんなもんだよな、と気にしていなかった。寂しいと感じたのは大学を卒業してからだ。卒業したとき特有の寂しさかもしれないけど、自分から連絡もできずにいた。今まで彼女から誘われることしかなかったからどうしたらいいかわからないまま、時間が流れた。自分の性格は昔と変わらない。考えるのが好きなようでめんどくさい。だから彼女から連絡が来たときは前と同じように、うん、と二つ返事で出かけた。
彼女は昔からよく笑う女の子だった。いろんなことにとらわれて考えすぎちゃうところやすぐに決めつけて拗ねるところがあった。今の彼女はよく笑うだけだ。何に悩んでどんな男の人といるのか知らない。考えたくないし知りたいとも思わないけど、つまらない。かわいいかどうか聞いてほしかった。そしたらかわいいって言えるのに。僕は彼女がめんどくさかった。そんな彼女が好きだった。

東京のシロクマは息苦しい

 


シロクマって見たことありますか?


えっ、


シロクマです、南極にいる、大きな。アイスじゃないですよ、動物ですよ


ないです


わたしもないんです、水族館にいませんよね


いませんね


ペンギンならいます、熱帯魚とか


いますね


わたし、ずっと彼にとってそういう、ペンギンとか熱帯魚とかだったんです


ずっと閉じ込められてる?


はい、まあ、いや、でも閉じ込められるのを良しとしたのはわたしなんです。自分でペンギンになっちゃったんです。シロクマみたいに、だれも持ってこられないような動物でいたかったんです、氷河の中で魚が取れないって泣いてもよかったのかもしれないです。自分でそこから、楽な方にいって、最初はいいなって思ってんたんですけどどんどん息苦しくなって。そういう距離に入らないと彼に会えなかったから。
でも本当はそんなことする必要なくて、わたしに会いたいなら南極まで来いって言えるくらい強くなればいいんです


でも人間だから歩み寄ればいいんじゃないですか、シロクマでもペンギンでもないですよ


どこまでですか

 

お互い向かい合ってぶつかる手前まで


ぶつかるまで?


はい


ペンギンとシロクマって歩み寄ることできますかね

 

やっぱりシロクマ同士じゃないとだめですかね、見た目は人間だけど、シロクマがいるかもしれないしペンギンかもしれないなら、どっちかがえいって、ジャンプしたほうが早くないですか?どっちかが歩み寄って、海に落ちるよりマシですよ


わたしの恋はそんな感じでした

おとぎ話のおわりがいつも思い出せない

ゆく年来る年、そんなプラマイゼロみたいに今年あったことを全部精算できたらいいのに、わたしが得たこと、失ったこと、コーヒーが飲めるようになった、お気に入りの香水が割れた、ザーサイが食べれるようになった、お酒に強くなってなかなか酔えない、ビールが飲めるようになったこと、彼氏と別れたこと、年下の彼とセックスしたこと、インターンで男の子と知り合えたこと、面接に落ちたこと、バイト先で飲みに行くことが増えた、デートしたこと、寂しさでつながっても何も変わらないってこと、大切にされることがすばらしいってこと、どうでもいい人に触られても悲しいだけだった、失恋した、あの人を嫌いになれたこと、今年仲良くなった人はほとんど仲良くなれなかった、どうでもいい人たちを大切にしなくていいって気づけたよ、つらくても現実と向き合えば這ってでも前に進めるって、その通りだった、捨てられない、と泣くのをやめる、全部置いていくね

よるのあと

あの夜に戻れたら。何度も思い出してみるとあの人の気持ちが遠のくのを感じる。CDが再生されるたびすり減っていくように、あの人から聞いた言葉はもう同じ温度では出てこないだろう。
彼女がほしい。まだ知り合って1年は経たないけど初めて聞いた言葉だった。友達の一人として言われてると思い、できるかな、と弱気なあの人にできるよ、あの子なんていいじゃん、と相談に乗るように話す。本音と建前。あなたが好きなのに、どうしてこんなことしか言えないんだろう。彼女としていいけどね、と彼女候補にあげられたとき、じゃあなろうなんて簡単に言える軽さじゃなかった。わたしの好きはあなたと違う。うれしいより怒りのほうがこみ上げたけどやめてなんて言ってしまった。そのままずっと本音と違うことをぺらぺらと続ける。何も感じないようにしていたのにこうすればよかった、と後悔するくらいにはっきりと覚えてるなんて苦しい。あの夜に戻れたら、彼女にしたいと言われたとき素直にうれしい、とあの人以上の熱を味わせて困らせたかった。
お店を出ると外は思ったより寒くてわたしの顔だけはお酒のせいで熱くなっているのがわかった。顔真っ赤だよ。そう?たしかに熱いかも。自分で自分の顔を触ろうとしたら、それより先にあの人が触れた。熱いよ。そう言ってわたしの手も触ろうとする。え、いや、と自分の手を引っ込めようとあたふたしているうちにやっぱり熱いよ、とわたしの手を一瞬握って楽しそうに笑う。うれしいのと悲しいのといろんな気持ちがぐるぐるしてまたばれないように顔をしかめることしかできなかった。あの夜に戻れたら、手を握り返したかった。掴んでまだこのままってかわいく笑いたかった。

その次の日も会ったあの人は別人みたいで前に戻ったみたいだった。みんなで飲みにいって二人きりになってもあの熱はなくてこうやって思い出すと涙が出てくる。本当に好きなんだ、ばかだ。でもあの人に好きなんて絶対に言わない。それ以外で素直になるからお願い、夜のあとまた会おう。

いつかのこと、繰り返すとき

「決めるものじゃない、恋愛は決めるものじゃないよ」

付き合ってる人にそう告げられた途端、目をそらして、主人公は顔を両手で隠して泣いてしまう。

「決めさせてごめんね」

好きな人がいる彼女を無理やり自分と結婚させようとしていた彼はそう続けて、主人公に謝る。そのシーンで自分も少し泣いてしまった。何を思い出してるかわからないまま。

あの人と飲みに行った。会話の最後に社交辞令で10月時間あったら飲みに行こうね、と送ったら、今日行けるよ、と返ってきた。10月になったばかりだった。二人で行くのは久しぶりだったけど、あの人は職場にいるときと変わらない格好で、話したのもみんなとあまり変わらなさそうなこと。それでも、この視線を独り占めできることも笑っているところを目の前で見られるのもうれしくて話してるときの記憶はふわふわしている。

居酒屋から出たのは22時くらい。まだ帰る時間じゃないとふらふら歩いた。あのときみたいに。酔って距離が近くなっているのも気づかないふりをしてコンビニでアイスを選ぶ。これおいしいんだよ。へえー、食べたことない。そんな普通の会話。好きじゃない、最低なやつだって思い始めたのに。もう二人で会わないって決めたのに。あの人を目の前にしてあのときと同じようにはっきりと感じてしまった。みんなにあの人は最低だと話したときわたしはどんな顔をしていたのか想像したくなかった。でももう決めるのも抗うのもやめる。帰り道、あなたが好き、と声に出してみる。また振り出しに戻った。